問題が起きたときこそ、自分の気持ちに気づくとき
「どうして、こんなことが起きるんだろう」
人間関係がうまくいかない。
仕事で失敗してしまった。
大切な人の言葉に傷ついた。
家族にイライラしてしまう。
頑張っているのに、思うようにいかない。
問題が起きると、私たちは
「どうすればこの問題を解決できるだろう」と考えます。
もちろん、現実的に問題を解決することも大切です。
けれど、問題が起きたときには、
もう一つ大切にしてほしいことがあります。
それは、
「この出来事によって、私は何を感じているのだろう?」
と、自分の気持ちに目を向けることです。
問題は、あなたを苦しめるためだけに
起きているのではなく、
普段は気づけなかった自分の感情を
見せてくれることがあります。
何も起きていないときには、自分の気持ちに気づきにくい
毎日が平穏に過ぎているとき、
私たちは心の奥にある感情を
意識することがあまりありません。
ところが、何か問題が起きると、
心が大きく動きます。
不安になる。
怖くなる。
腹が立つ。
悲しくなる。
寂しくなる。
自分を責めたくなる。
こうした感情は、その問題によって
突然生まれたものとは限りません。
出来事がきっかけとなって、
自分の中に以前からあった感情や
思い込みが表に出てきた可能性もあります。
だからこそ、問題が起きたとき、
「相手が悪い」
「自分が悪い」
「早く何とかしなければ」
だけで終わらせず、
「私は今、何を感じているんだろう?」
と自分自身に問いかけてみる。
そこに、自分でも気づいていなかった
本当の気持ちが隠れているかもしれません。
強く反応するときほど、その奥に感情が隠れていることがある
たとえば、仕事でミスをして
上司から注意されたとします。
起きた出来事だけを見れば、
「仕事でミスをして、注意された」
ということです。
ところが、その出来事によって、
「自分はダメな人間だ」
「能力がないと思われたかもしれない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ちゃんとできなければ価値がない」
と感じることがあります。
ここには、
出来事 → 感情 → 思い込み → 自分に対する評価
という流れがあります。
でも、「仕事で間違えたこと」と
「あなた自身の価値」は、本来別のものです。
間違えたからといって、
人としての価値まで下がるわけではありません。
それでも1つの失敗で自分そのものを
否定したくなるほど苦しくなるのなら、
「なぜ私は、間違えることを
これほど怖いと感じるのだろう?」
と、自分の内面を見てみる。
そこに、今まで気づかなかった
感情があるかもしれません。
「こうでなければならない」を持っている
心の苦しさの奥を見ていくと、
自分でも気づいていなかった
「自分の中のルール」が見つかることがあります。
たとえば、
「疲れていても頑張らなければならない」
「人に頼らず、一人でできなければならない」
「自分よりも人を優先しなければならない」
「苦労しなければ、欲しいものを手に入れてはいけない」
「自分で選んだのだから、結果も全部一人で背負わなければならない」
「自分だけ幸せになってはいけない」
「一生懸命な自分でいなければならない」
こうした思い込みは、
自分にとってあまりにも
当たり前になっているため、
普段はなかなか気づけません。
むしろ、
「これが普通だ」
と思って生きています。
ところが、仕事、人間関係、恋愛、夫婦、家族などで
問題が起きたとき、そのルールに触れることで
感情が大きく動くことがあります。
だから問題は、ときに、
自分がどんな感情や思い込みを
抱えて生きてきたのかを知る入口
にもなるのです。
「望むこと」が怖くなっていることもある
本当はやってみたいことがある。
幸せになりたい。
もっと自分らしく生きたい。
それなのに、なぜか一歩踏み出せないことがあります。
その奥には、
「期待したら、また失望するかもしれない」
「自分のために生きたら、誰かを傷つけるかもしれない」
「自分だけ幸せになったら、誰かを置いていくことになる」
「楽に手に入れてはいけない」
といった感情や思い込みが隠れていることがあります。
頭では、
「幸せになりたい」
と思っている。
でも心の奥では、
「幸せになるのが怖い」
と感じている。
このように、頭で望んでいることと
心の奥にある感情が違う方向を向いていると、
前に進みたいのに進めないことがあります。
そんな自分を「意志が弱い」と責めるのではなく、
「進もうとすると、私は何を感じるのだろう?」
と見ていく。
そこから、自分を苦しめてきたものが
少しずつ見えてくることがあります。
問題を「良かったこと」にする必要はない
ここで、1つ大切なことがあります。
つらい出来事に対して、
「この問題が起きて良かった」
「すべての出来事には意味がある」
と無理に考える必要はありません。
傷ついたことは、傷ついたことでいい。
悲しいときは、悲しくていい。
腹が立つなら、怒りがあってもいい。
大切なのは、問題そのものを
肯定することではありません。
問題によって動いた自分の感情を
置き去りにしないことです。
「私は、本当は悲しかったんだ」
「怖かったんだ」
「認めてほしかったんだ」
「大切にしてほしかったんだ」
「本当はもう頑張りたくなかったんだ」
そこに気づくことが、
自分自身を理解する第1歩になります。
問題を見るだけではなく、自分の内面を見る
私たちは問題が起きると、
どうしても外側に答えを探します。
相手が変わればいい。
環境が変わればいい。
問題がなくなれば楽になれる。
もちろん、環境を変えたり、
相手との距離を取ったり、
現実的な問題を解決したり
する必要がある場合もあります。
それと同時に、
「この出来事によって、自分の中の何が反応しているのか」
を見ることも大切です。
なぜ、これほど不安になるのか。
なぜ、これほど腹が立つのか。
なぜ、断れないのか。
なぜ、人に頼れないのか。
なぜ、頑張ることをやめられないのか。
なぜ、自分が幸せになることに罪悪感があるのか。
その問いの先に、
自分でも気づいていなかった
感情が見えてくることがあります。
気づいた感情を、さらに責めない
自分の感情に気づいたあと、
「こんなことを感じる自分はダメだ」
と、さらに自分を責めてしまう人もいます。
けれど、
怒りがあってもいい。
嫉妬することがあってもいい。
寂しくてもいい。
怖くてもいい。
誰かに認めてほしいと思ってもいい。
人に頼りたいと思ってもいい。
どんな感情を持っているかと、
その人自身の価値は別です。
感情に気づくことは、
自分を否定するためではありません。
自分を理解するためです。
問題は「自分を責める材料」ではなく「自分を知る入口」にできる
問題が起きたとき、
「また失敗した」
「どうして私はいつもこうなんだろう」
と自分を責めたくなることがあります。
そんなときこそ、少し見方を変えてみてください。
「この問題によって、私はどんな気持ちに気づいたのだろう?」
問題そのものを好きになる必要はありません。
無理に感謝する必要もありません。
ただ、その出来事によって見えてきた感情は、
これまで自分が気づけなかった
大切な自分の一部かもしれません。
そして、ここでもう一つ大切なのが、
気づくだけで終わらせないことです。
気づいた感情を、解放していく
自分の中にある
不安、恐怖、怒り、悲しみ、寂しさ
などに気づくことは、とても大切です。
けれど、
「自分にはこういう感情があるんだ」
と理解できても、同じ出来事が起きるたびに
同じ感情が強く反応することがあります。
なぜなら、頭で理解することと、
心の中に残っている感情が変化することは、
必ずしも同じではないからです。
ストレスクリアルームでは、
問題によって表に出てきた感情を
ただ知るだけではなく、
その感情の原因を見つけ、
不要な感情を解放していくこと
を大切にしています。
たとえば、
「間違えてはいけない」
という思い込みの奥に、
過去に失敗して強く責められた時の
恐怖が残っているかもしれません。
「人に頼ってはいけない」
という思い込みの奥には、
助けを求めても応えてもらえなかった
寂しさがあるかもしれません。
「自分だけ幸せになってはいけない」
という感覚の奥には、罪悪感や誰かを
置いていくような怖さがあるかもしれません。
その原因となっている感情に気づき、
もう今の自分には必要のない感情を
1つずつ解放していく。
すると、
「こう考えなければ」
と無理に自分を変えようとしなくても、
以前ほど同じことに反応しなくなったり、
今までとは違う選択が
しやすくなったりすることがあります。
問題をなくすことだけが、
心を楽にする方法ではありません。
問題が起きたときに、
「私は今、何を感じているのだろう?」
と自分の心に目を向ける。
そこから、自分を苦しめている感情や思い込みに気づく。
そして、もう必要のなくなった感情を手放していく。
問題を、自分を責める材料ではなく、
自分を知り、感情を解放していく入口にする。
それが、自分自身を少しずつ
楽にしていく1つの方法なのです。